アラカルター木村久里のガハハと笑って生きる道
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7.ノーと言われて引き下がるなら、本ものじゃない

私は学生のころ写真部に入っていた。
学祭のとき展示していた写真を出張か何かで訪れた東京の出版社の人にほめられ、カメラマンになるのもいいかなと思ったことがある。
そのころ山形県に住んでいたのだが、東京に遊びに行ったときに、遠い親戚にあたるカメラマンを訪ね、写真を見せ、
「カメラマンになりたいと思うんですが…」
おそるおそる聞いてみた。彼は持って行った写真をさっと見て、まず開口一番にいった。
「オンナのコには勧めないな。肉体労働からね」
こういわれあっさり、
「そうか!」
とカメラマンになる夢は薄れた。

そのころは活躍している女性カメラマンはまだ少数で、しかも徒弟制度が厳しい時代だったから、彼がそういうのも無理がなかったのだろう。
でも、やる人が少ないからこそ、チャンスがあると考えるべきだったのだ。

でもそのころの私はそんなことは思いつかなかった。
まして私は、まだ結婚を夢見るオンナ。自立するオンナよりもかわいい奥さんになることにあこがれていた。
白馬にのった王子様じゃないが、心の底では自分に幸せを運んでくれるオトコを待っていた。
一生懸命仕事をする自立するオンナより、オトコに好かれる受け身のオンナになりたかった。
受け身の結婚というものに疑問を抱きつつも、他力本願の幸せを望んでいたから、自らそんなきびしいオトコの世界に入りたいと思わなかったのだ。
つまりカメラマンに対する私のあこがれも、当時はそれぐらいの軽いものにすぎなかったというわけだ。

ほんとにやりたいという気持が強ければ、いくら「ダメだ」といわれても、そう簡単にはあきらめがつかない。
否定的な言葉を聞いて、
「むずかしそう」
としり込みをしてしまうようだったらやめた方がいい。
しょせん、自分の思いはそのへんのレベルにすぎないのだから。
そのぐらいの根性じゃスタートラインに立つことはもちろん、近づくこともできない。


8.あこがれの人にかたっぱしから会う作戦

自分が打ち込めるものをみつけたい、といつも思っていた。
自分が理想とする生き方をしている人に出会って、ややもすると落ち込みがちになる気持を奮起させたかった。
雑誌社に勤めていたころは、積極的にその人に会う企画を考えて会いに行ったことがある。
「安い給料で働いているんだから、自分のために少し利用させてもらってもバチはあたらないでしょう」と生意気にも考えていた。
仕事に関係ない人でも、会いたいなと思った人には、電話して会ってもらった。
百聞は一見にしかず。どんな人か自分の目で確かめてみたいという気持が強かったのだ。
「もし、冷たくあしらわれたらどうしよう」
と考えるとしり込みもしたくなる。そんなとき思うのだ。
「いいじゃないか。ダメでもともと。会ってくれたらもうけもの。誠心誠意ぶつかって、冷たくあしらわれたら、なんだそんな人か、と思えばいい。それで相手の人間性がわかるんだから」
考えてみたら、仕事内容よりも、その人自身に関心があったような気がする。
だから人間的に魅力を感じない人には、いくら仕事ができる人でもパスしたいと思っていた。
ほんとうの成功者は人間的にも魅力がある人だという思いを確かなものにしたかった。


9.マイナスからのスタート、ゼロになっただけでもエライ!

いくら好きな仕事といっても、いつも楽しいことばかりじゃない。つらいことがあるから喜びも大きいものだ。
しかし、ナマケモノの私はなんとか楽をしたいと、最短距離ばかりをねらっていた。

私の仕事に対する哲学は、
「つらい努力はしない方がいい」

なのに私はつらい努力をしていた。プレッシャーを自分で大きくしていた。
原稿だっていつもすんなり書けるものじゃない。はじめのころはちょっと書けないと、すぐ落ち込んだ。
「やっぱり、私はダメなんだ」
もっとも苦手とするものに飛び込んだという思いが強く、人の何倍ものプレッシャーを自分に課してしまう。
「できない、できない、やっぱりそうだ。できなくて当然なのだ。なんでこんなものを仕事にしたんだ」
そんな思いで、落ち込みは益々激しくなり、原稿は進まず、ストレスは増すばかりだった。
もちろん、この仕事を続けていく自信も失せてくる。

そんなとき自分に言い聞かせた。
「いいじゃないか。マイナスからスタートしたのに、ここまで来たんじゃないか。ゼロになっただけでもエライ!」
「人間としては成長しているんだ。周りと比べちゃいけない」
ひところ流行った言葉じゃないが、自分をそうやってほめてあげた。
そう思うことで「ダメダメ」というマイナスのエネルギーがプラスに変わり、少しは気持が軽くなるのだった。


10.オンナの自由は30歳から

20代前半のころ、年齢を重ねることに不安をもっていた。ネックになっていたのは結婚。つまりオンナとして売れる年ごろにこだわっていたからだ。
「もし、私が25歳までに結婚できないで会社に勤めているようだったら、実績がきちんと形になって表れるものをしよう。そうじゃないと会社には居づらくなる」
20代半ばになったころこんなことを思った。

オンナの花の時代は25歳まで。それからはだんだん枯れて、30歳になれば死んだも同然。ただいるだけの存在なら会社でもお荷物扱いになる。そんな風になってまで会社にいるのはいやだなあと。
俗に言うクリスマスケーキ症候群に犯されてしまっていたかもしれない。
売れるのは24日まで、25日になると安売りされ、26日になると見向きもされなくなる。これをオンナの結婚適齢期になぞらえて表現されたものだが、あのころのオンナたちの多くはシングルのまま歳を重ねることに、心のどこかに不安を感じていたと思う。

さてそう思ったからと言って、「こんなことじゃダメだ」と仕事に全エネルギーでぶっかていたかというとそうでもない。そこが私のいいかげんさで自分でもいやになるが・・。
ただ自分の興味が向けられるものにむかって、トライしていただけだった。そのエネルギーだけは人よりあったかもしれない。
あれもこれも手探り状態。
早く「これだ!」と思えるものを見つけて、それに向かって突き進みたかった。それがムダを省く早道と思っていたが、ことはそう自分の都合のいいようには進まない。

で、いざ25歳になってみると、自分が思っていたほど居心地が悪くない。24歳から25歳になってひとつ歳を取っただけで、何が変化したのだろう。
「いつ結婚するの?」
「もうそろそろ結婚しないの?」
と周りの人間から結婚を急かされるような職場じゃなかったのも幸いした。類は友を呼ぶというか、友達も結婚していない人が多かったのも精神的には楽だった。
周りがどんどん結婚していったら、自分だけが取り残されたような気持になるし、結婚できないということだけで、オンナとしての自信も揺らいでくる。焦りも増すはずだ。

そして恐怖の30歳を迎えたときはどうかといたら、これまた思っていたのとは違っていた。
29歳のころ仲間と一緒にやっていた事務所を解散して、独立して仕事を始めたせいか、すべてが新しく生まれ変わったような気がした。妙にすがすがしい気分で30歳を迎えた。
だからといって結婚願望が消えたわけではないが、20代のように結婚という言葉に躍らされることは少なくなった。
オンナも30代になると、結婚相手としては対象外に見られるのか、周りから結婚、結婚という言葉を言われなくなってくる。
期待されないということは、さみしくもなるが、気が楽になるもんだ。

それとは反対に、オトコは30代になってから結婚へのプレッシャーを感じ始めるようだ。
「まだ結婚しないの?」
オンナが20代のころ言われていた言葉を、親や親戚からオトコの方がうるさく言われるようになるし、周りからも、
「結婚しないのはひょっとしてオトコとして欠陥でも」
などとあらぬ疑いをもたれかねない。

その点、オンナはそう思われることは少ないからいい。
期待されないことの気楽さ。社会とのしがらみが弱い分、オンナは年齢を重ねるごとに自由になるような気がしてきた。


11.目指すは老人ホームのアイドル

うちの親の悩みは、いい歳しても結婚もせずフラフラしている私の老後のことだ。電話をかけるたびに、
「生活はしていけるのか。お金はあるのか」
としつこく聞いてくる。この前などはこんな話になった。
「みんな(実家の近くに住む姉達のこと)が心配して、おまえのためにきちんとお金を残してあげなきゃダメだよって言うから言ってやったよ。なんでこんな年寄りが娘の面倒みなきゃいけないんだって」
それを聞き、
「私の老後のことなんか心配してもらわなくてもいいよ。最悪は生活保護って手段があるんだから、もしそうなっても身内にお世話になんてならないよ」
と切り返すと、母親も待ってましたとばかりに言ってきた。
「ほんとにそうだよ。生活保護を受けるとき、身内に『面倒を見る気があるかどうか』と聞きに来るらしいから、そのときは『ありません』って言えばいいんだからって言ってやったよ」
こういうことをぽんぽん言い合える親子関係が気に入っているんだが、これは親の本音じゃないにせよ、私は正直そうしてもらいたいと思っている。
私は自分で好きなことをしてこうなっているんだから、それで生活苦になったってしかたない。自分の責任というものだ。
そんなことより私のために周りが迷惑を被ったなんて言われる方が困っちゃうのだ。
自分で招いた結果がそうなんだから、悔いはなし。しかし、今の私の状況を考えたら、確かに老後は暗い。
お金はなし、家はなし、この先この仕事を続ける意欲をもてるか、転職するにも再就職の口はむずかしい。なのに体は衰えて、若いころのように自由に動けなくなる。
「老いてこそ人生なりき」
なんて、お金のあって老後の生活の心配のない人が言えることだと思ってしまう。
「老いは不幸せ、長生きは残酷」
そう思えども、自分の都合に合わせて死なせてもらうわけにもいかない。
うちの近所の戸山公園にはホームレスがいっぱいるが、その仲間に片足も両足も突っ込んでいるような金銭状態で、果たして私の老後に希望があるのか。
せめていいところがお金を払わなくても入れる老人ホームだ。でも世間で聞くお金がない人が行く老人ホームのイメージはなぜか悪い。
「亡くなっても誰も来ない人も多いのよ。宅急便で遺骨を送ってくれっていう人もいるんだから」
知り合いの老人ホームに勤める女性が言っていたのを聞き、ちょっと暗い気持になった。
「ホームの老人って孤独でさみしそうね」
とぽつりともらすと、
「それは性格によるわね。性格が明るくていい人はスタッフとの関係もいいから、そんなことないわよ」
それを聞きガ然張り切ってしまった。
「そうだ。老人ホームのアイドルを目指そう」
愛敬のあるかわいいおばあちゃん! これならお金がなくてもなれそうだ。
うふふふ、そう考えたらお金のない老後も楽しく思えるじゃないか。


12.もらい上手のコツ

もらい上手のコツは何かと言ったら、お礼上手なことだと思っている。お義理であげたものは別だけれど、自分がプレゼントしたものを喜んでもらえるというのはうれしい。
要は気持ちだ。何か送られてきたらまずは届いたことを知らせる意味でもお礼の電話なりするのが、エチケットいうものだろう。
だけど、うんともすんとも行ってこない人もけっこういる。
とくに写真は送っても、お礼の返事をくれる確率は50%。
たかだか写真なんだか、送った方は腹が立つ。わざわざ焼き増しして、郵送して。金額にするとどうという金額じゃないけれど、手間はかかっているのだ。

残念ながら私はうんともすんとも言ってこないようなひとに時間を割くほど、寛大な気持は持ちあわせていない。
だから、最近は会ったときか、相手から催促があったときに渡すようにしている。それが精神衛生上いいような気がしている。

お礼のタイミングも大事で、できるならすぐがいい。著作などが送られてきたときは、直後なら「これから読ませていただきます」と言えばいいが、時間がたってはそう言うわけにもいかない。
時間がたてば当然、読んでいなければ失礼というもので、感想などを述べなければいけなくなる。
だから送っていただいたらできるだけ早く気の小さい私は、お礼の電話かメールを入れることにしている。

どちらにしても、お礼の言葉があるのとないのでは、相手に与える印象が違ってくる。
もちろん、きちんとお礼のできる人はお付き合いの幅もぐんと広がる。
自分が直接送ったのならいいのだが、デパートやなどから送ったとき、自分が指定したものが届いているか確かめることができる。
違うものが届いていることだってあるのだから。

北海道の友達からハムと焼豚のセットが送られてきたときがそうだった。いつも通り届いたその夜にお礼の電話を入れた。
「どうもありがとう。焼豚食べたけれどおいしかったよ」
「えっ、焼豚? うっそー、私が送ったのは、函館のKの手作りソーセージとハムのセットだよ」
こんな会話が繰り返された翌日、ハムを送ってきたデパートから電話が来た。友達がデパートに出向いたらしい。
代替するかどうかと言うから、私はKのソーセージが食べたかったので、
「じゃ、代替えお願いします。でも焼豚は食べたんですけれど」
と言った。このとき期待していた。
「先に送ったハムはどうぞお食べになってください」
とデパートの人が言うのかと思ったら、彼から返ってきた言葉は、
「えっ、またあとで電話します。残りのハムは冷蔵庫に入れておいてください」

しばらくして「××ハムのものですが」と年配の女性から電話が来た。
「××デパートの方じゃないんですか?」
「そうです。××デパートの×××ハム担当のものです」
この応対でイヤな予感がした。初め電話をくれた若い男性と同じく、代替えをするかどうか聞くので、私は、
「代えてください。でも焼豚は食べたんですけれど」
とまた同じく答えたら、
「しかたないですね。宅配便の人間が代替品を持って行きますので、そのとき残りのハムを渡して下さい」
そして先の男性と同じようにハムは冷蔵庫に入れておいてくれといい、代替えをするか再度確認して、最後に言った。
「わかりました。Kソーセージとハムの詰め合わせ4千円の品、お送りします」
これは、私が送った品じゃないんだゾ。金額を言うなんて。こんなんじゃこのデパートから送れないと思った。
聞くところでは、このデパートは業績不振で再建を図っていると聞いたが、こんな応対じゃ落ちて当然。

でも、それにしても戻したハムはどうしたんだろう。まあ、いいっか。
焼豚だけで得したんだから、と思った。

それから半年ぐらいして同じ友達からおいしい北海道の海の幸が届いた。
もちろん、今度は別のデパートからだった。
さっそくお礼のメールを出した。
「送られてきたのは、ウニと甘えびの瓶詰め。間違っているといけないからね」
私は冗談で書いたのだが、彼女の返事を見て笑ってしまった。

なんと、またもや間違い品。
彼女が送ってきたのはウニの瓶詰め2本セットだった。
今回はデパートの対応もスムーズで、代替品を送るので、間違って送った商品はお食べ下さいとのこと。

それにしても同じ人から2度も同じことがあるなんて。間違い品が届く確率は宝クジに当たる確率よりもいいはず。
2度あることは3度ある。デパートからの宅配便が届くたびに、
「もしや、間違い品では」
と密かに期待するようになった。
こんな楽しみを味わえるのも、すぐ先方にお礼を言っているから。おかげでいいことが倍になって返ってきた。